
2025/10/14 TUE 19:30-21:30
菊地成孔と大谷能生の「SUPER JAZZDOMMUNE♯53」
R.I.P. HERMETO PASCOAL ●出演:菊地成孔、大谷能生
■DOMMUNE開局以来、カルト冠番組として15年間続く長寿パフォーミングアーツ『JAZZDOMMUNE』が限定53人の観覧者と共に生STREAMING!!! 今回は、2010年6月25日開局直後3ケ月でJAZZDOMMUNEにゲスト出演し(https://natalie.mu/music/news/33800)、「魔術師(Bruxo)」の愛称で親しまれ、惜しまれつつも2025年9月13日に89年の歴史に幕を閉じたブラジル音楽界の巨匠、エルメート・パスコアールを番組内で追悼する!
「実験と偶発的事故を味方に付ける」これが我々ライヴストリーミング・チャンネル兼スタジオ=DOMMUNEの基本理念だ。言い換えれば、民放のようにホンも進行表もなにもない、結果が全く想定出来ないプログラム、つまりそれが実験であって、その最中に偶発的に起った事故を、チャンスオペレーションの思想のもとに"成果"として捉えるのがDOMMUNEなのである。不確定要素に満ち溢れた「いま」と「ここ」の一回性が生み出す「現在美術作品」!! そう定義づけているDOMMUNEのプログラムの中で、『菊地成孔と大谷能生のJAZZDOMMUNE』は、ジャズ・インプロビゼーションの適応的突然変異であり、バークリー・メソッドの反証となるパフォーミング・アーツのゴールデンタイム進化形体なのである!! 番組中に使用された彼らの楽器は、ターンテーブルと、CD&ヴァイナル、レコードジャケット、シャンパン、グラスワイン、寿司、札束、チーズ鱈、風邪薬、歌舞伎町の部屋の鍵、プチシュー、他人の名刺、「くらしの手帖」、「エンジョイ缶クッキング」、「SFマガジン」の裏表紙広告.....。大谷能生のダンス、菊地成孔のファッション、そして二人の声帯.....。そう、音が鳴っているものもあるし、鳴らないものもある!! あるいは、音が見えるものもあるし、時には、音が匂ってくるものもある!!!!!! そういえば、『JAZZDOMMUNE』初期のゲストであるブラジルの怪人=エルメート・パスコアールが、登場に際して予め我々に指定してきた楽器は、茶碗と箸とやかんと水とガラスコップだったではないか!!! そう考えると『JAZZDOMMUNE』で扱う楽器は、人間国宝級のアヴァンギャルド・ジャズマンのオーダーからも加速して脱線している!! そしてパスコアールは演奏中にこう言った「これは会話なんですよ」演奏か会話か?会話か演奏か?演奏か番組か?番組か演奏か?そう『JAZZDOMMUNE』は演奏であって会話であって番組でもあるのだ!!!!!!!!!! DOMMUNE開局以来、カルト冠番組として15年間続く、長寿パフォーミングアーツを繰り広げ ている『JAZZDOMMUNE』が、限定53人の観覧者と共に53回目のインプロビゼーションプログラムをお送り致します!! 今回は、2010年6月25日開局直後3ケ月でJAZZDOMMUNEにゲスト出演し(https://natalie.mu/music/news/33800)、「魔術師(Bruxo)」の愛称で親しまれ、惜しまれつつも2025年9月13日に89年の歴史に幕を閉じたブラジル音楽界の巨匠、エルメート・パスコアールを番組内で追悼する!!!!!!!(Text by 宇川直宏)

■エルメート・パスコアール
ブラジルで“魔法使い(O Bruxo)”の異名を持つ、エルメート・パスコアール(Hermeto Pascoal|1936年6月22日、アラゴアス州アラピラカ生まれ)は、作曲家、アレンジャー、マルチ・インストゥルメンタリスト。絶え間ない実験から生み出された彼の作品は、既存の音楽ジャンルに分類することが困難なほどユニークである。彼のレパートリーでは、地方の伝統音楽、ブラジル各地の音楽、世界の音楽、ポピュラー音楽、クラシック音楽が濃密に交錯している。
パスコアールは幼少の頃から音楽を作り始め、早くから自然の音に強い関心を抱いていた。8ベースのアコーディオン(左手のボタンが8つのタイプ)を父や兄から学び、音楽の基礎を身につけた。11歳の頃にはすでにラジオや地元のパーティーで演奏を行っていた。1950年、14歳で家族とともにレシフェへ移り、兄や作曲家シヴーカとアコーディオン・トリオを結成。
1954年(18歳)からピアノを学び始め、3年後にはオルケストラ・タバジャラ(Orquestra Tabajara)に参加するためジョアン・ペソアへ移住。1958年にリオに移り、ラジオ・マウア(Rádio Mauá)で楽器奏者として活動。1961年にはサンパウロに移住し、フルートを習得。ナイトクラブや様々なグループで演奏活動を重ねた。
サンパウロでの経験は、楽器奏者としての彼のキャリアを確立させることになる。この時期に『Conjunto Som 4』(1964年)『Sambrasa Trio em Som Maior』(1966年)を録音。また、エラルド・ド・モンチ(Heraldo do Monte)、テオ・ヂ・バーホス(Théo de Barros)、アイアート・モレイラ(Airto Moreira)とともに「Quarteto Novo」に参加し、エドゥ・ロボが「Ponteio」を歌って第3位に入賞した1967年のTVレコルの音楽祭で伴奏を務めた。同年「Quarteto Novo」はジェラルド・ヴァンドレー(Geraldo Vandré)のツアーに参加し、アルバム『Quarteto Novo』をリリース。この作品は“北東部のボサノヴァ”とも呼ばれ、インストゥルメンタル音楽の記念碑的アルバムとされている。
1969年、アイアート・モレイラとフローラ・プリン(Flora Purim)の招きで渡米し、国際的なキャリアを歩み始める。米国では初のソロ・アルバム『Hermeto』を録音し、マイルス・デイヴィスをはじめとするジャズ・ミュージシャンの録音にも参加。マイルスとの共演は『Live-Evil』(Miles Davis, 1970)に収録され、自作曲「Igrejinha」「Nem um Talvez」も同アルバムに収められている。
国際的な巨匠たちとの経験を経て、エルメートは自作曲や実験的作品を中心とする新たな段階へと進んだ。

ブラジルに戻り、1973年にブラジルでの初めてのソロアルバム『A Música Livre de Hermeto Pascoal』をリリース。1976年には、動物、風、水などの自然界の音や、電子機器、やかん、洗面器などの日常的な物の音から「音楽を引っ張ってくる」という最初の実験を行ったアルバム『Slaves Mass』を発表した。このアルバムの録音するにあたり、エルメートはスタジオに豚を連れて行き、またコンサートにも豚を連れて行った。
エルメートはどんな場所でも音や雑音を聴き取り、それを即座に音楽に変える卓越した感性を持っていた。最も本能的な宇宙と、言語の形成との間に存在する“変換”を、誰にも真似できない才能で行ったのである。イタリアの音楽学者エンリコ・フビーニ(Enrico Fubini)は彼を「自然で、本能的で、言語以前で、型にはまらない」と評している。エルメートの音楽が常に定義しがたいのは、この“言語以前の音楽”という特質に由来している。また、エルメートはサンパウロ芸術批評家協会(APCA)から2度表彰を受けている。1972年に最優秀ソリスト賞、1973年に最優秀アレンジャー賞。さらに1978年にはモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演し、翌1979年にはアルバム『Ao Vivo em Montreux Jazz』を発表した。 どんな日常の出来事の中にも音や音楽を聴き取ろうとする習慣は、エルメートの人生における特異な経験から培われたものだった。1981年、彼は日常生活の中で音楽制作をより深めることを目的に、リオの自宅に一種のコミュニティを築いた。そこに「家族のワークショップ(oficina familiar)」を立ち上げ、楽器奏者たちの学校のような場としたのである。その場で学んだ多くの音楽家の中には、ピアニストのジョヴィーノ・サントス・ネト(Jovino Santos Neto)がいた。ジョヴィーノは長年にわたり、エルメートのグループで鍵盤奏者として活動を共にすることになる。
自然の音、騒音、語られた言葉 ── そうした無数の体験を経て、エルメートは「サウンド・オブ・オーラ(som da aura)」と名付けた独自の音楽概念を確立した。1984年のアルバム『Lagoa da Canoa, Município de Arapiraca』では、このアプローチをさらに発展させ、スポーツ実況の声(「「Vai mais Garotinho」「Tiruliruli」)、犬の遠吠え(「Spock na Escada」)、オウムのしゃべり声(「Papagaio Alegre」)を音楽に取り込み、融合させている。
1992年の『Festa dos Deuses』ではその試みを一層深め、ウイラプル(マイコドリの一種)、サビア鳥(ツグミの仲間)、鶏やマガモといった鳥の鳴き声に加え、詩人で俳優のマリオ・ラゴ(Mário Lago)や、元大統領フェルナンド・コロル・デ・メロ(Fernando Collor de Melo)のスピーチまでを用い、音楽として昇華させた。
さらに1996年から1997年にかけて、エルメートは自らに「1日1曲作曲する」という課題を課し、膨大な作品群「音のカレンダー(Calendário do Som)」を完成させた。これらの楽曲は後に楽譜としてまとめられ、1999年に出版されている。このような「自然で本能的」な原点から生まれる音楽のプロセスは、エルメートの提唱した「ユニヴァーサル・サウンド(som universal)」という理念によって完成し、もはや音楽を特定のテーマやジャンルに囲い込むことは不可能となった。

2006年、70歳の誕生日を迎えた彼は、ジョヴィーノ・サントス・ネトの編集による15曲入りのスコアブックを制作。このスコアブックはWeb上で無償公開され、広く配布された。さらに2009年には、この自由主義的な姿勢を一層押し進め、自らが作曲した614曲すべての著作権を放棄するという前代未聞の決断を下した。エルメート・パスコアールは、2023年5月の北米ツアー中、名門ジュリアード音楽院から名誉博士号を授与された。その授与式では、トランペット奏者ウィントン・マルサリスが彼に栄誉を手渡している。2024年には亡き伴侶に捧げるアルバム『Pra você, Ilza』を発表し、公式伝記『Quebra tudo! – A arte livre de Hermeto Pascoal』も刊行された。最後の公演は2025年6月、リオ・デ・ジャネイロのシルコ・ヴォアドールで行われたもので、89歳の誕生日直前にあたり、大きな誕生日祝いの場ともなった。そして2025年9月13日、入院していた病院で家族に見守られながら、その生涯に幕を下ろした。
エルメートは一貫してレッテルを拒み、自らの音楽を「ユニバーサル・ミュージック(普遍的音楽|música universal / universal music)」と呼んだ。ジャズ、フレーヴォ、バイアォン、クラシック、大衆音楽──あらゆるジャンルを自由に横断し、創造性の翼を広げ続けた。その音楽は、多様な文化と自然を映し出す「音の混合」を核心に据えることで、ブラジルの豊かな多様性を体現し、同時にその普遍性を世界に響かせていた。

■『JAZZ DOMMUNISTERS』とは何か?
JAZZ DOMMUNISTERS(ジャズ・ドミュニスターズ)は2010年に結成された菊地成孔と大谷能生によるHIP HOPクルー。 一般的には「憂鬱と官能を教えた学校」「東京大学のアルバートアイラー」「M/D」「アフロ・ディズニー」等々、コンビの大学講師/共著者として、或は伝説のラジオ番組「水曜WANTED」、伝説の音楽教養番組「憂鬱と官能を教えた学校TV」のバイ・パースナリティとして等々、ジャズミュージシャン/ジャズ批評家のコンビとして認知されている2人だが、菊地はHIP HOPの黎明期から、大谷はさんぴんキャンプに代表されるジャパニーズミドルスクールからの熱狂的なHIP HOPマニアで、「HIP HOPはFUNKという父親をアンチエディプスで捉えているJAZZの孫」という自説に従い、両者の隔世遺伝的な類似性の研究と実践を続けて来た。11年にリリースされた大谷の、ハードコアなJAZZY HIP HOP作品「JAZZ ABSTRUCTIONS」(BLACK SMORKERS)、菊地率いるDCPRGが12年にリリースした、SIMI LABとのコラボ、そして大谷とヴォーカロイドをfeatラッパーとした「SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA」(UNIVERSAL JAPAN/因みにこの作品はIMPULUSE!レーベル創業以来最初のアジア人アーティストの2作目としてリリースされた)の2作はその結実と言えるが、テストランが行われたのは2010年からで、菊地がオーガナイズするパーティー「HOT HOUSE」でのコメディアン兼MCとして、アコースティックジャズの4ビートに乗せてラッパースタイルでパーティーを進行する際、既に「JAZZ DOMMUNISTERS」という名称は用いられている(結成年とする所以)。その後、菊地のラジオ番組のHIP HOP特集の番組冒頭ラップ、少女時代特集の番組冒頭ラップ(菊地のみ)、EP-4再結成のフロントアクト、SIMI LABのOMSBを加えた「PARIS=HELL↓TONE」名義によるパリ公演、 SUMMIT主催の「AVARANCHE3」参加等々、数々のテストランを経た後、満を持して2013年、ファースト・アルバム「BIRTH OF DOMMUNIST(ドミュニストの誕生)」をビュロー菊地レーベルからリリース。SIMI LAB勢(MARIA、OMSB、DyyPRIDE)からMOE AND GHOSTSのMOE(feat経験は初めて)、新人覆面フィメールラッパー「ICI」までをfeatし、フランス語や韓国語も駆使し、極端にブロークンなフリージャズ/ポリリズム的なビートメイクからオーヴァーグラウンダースタイルまでを網羅するブランニュースクール的な日本語ラップのみならず、リーディングやアジテーション等のマイクロフォン初期衝動をも現代的に展開する、異形で強烈なミクスチュア・アティテュードに基づいた狂気のクルーとして、デビューライブを赤坂BLITZで飾る。2017年6月には2ndアルバム「Cupid & Bataille, Dirty Microphone」をリリース!大きな話題となっら!名称の由来は、宇川直宏による「最終メディア」DOMMUNEで2010年から現在までの継続中のレギュラー番組「JAZZ DOMMUNE」(2012年に書籍化)から。この番組で2人が行って来た超モダンアートなパフォーマンスをHIP HOPのマナーに流し込んだものがJAZZ DMMUNISTERSである。
| ENTRANCE | ¥3800(超エクスクルーシヴ限定53人スタジオ観覧者をPeatixにて予約受付中です!エントランスで1ドリンクを必ずご購入ください。シャンパン&お寿司(限定10SET)の販売もあります!! ▶︎https://jazzdommune53.peatix.com/ もしくは当日直接スタジオにお越しください!) |
|---|---|
| PLACE | 〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷PARCO9F「SUPER DOMMUNE」 15-1 Udagawa-Cho Shibuya-ku Tokyo 150-0042|Shibuya PARCO9F「SUPER DOMMUNE」 SUPER DOMMUNE FLOOR GUIDE MAP |
| ■ ご来場者はカメラに映る可能性がごさいますので、ご了承のうえご参加ください。 ■ スタジオには、クロークやロッカーございません。手荷物は少なめでご来場のうえ、ご自身での管理をお願いします。 ■ ドリンク類はスタジオ内でお買い求めいただけます。お飲み物の持ち込みはご遠慮ください。 |
- 発熱、咳、くしゃみ、全身痛、下痢などの症状がある場合は、必ずご来場の前に医療機関にご相談いただき、指示に従って指定の医療機関にて受診してください。
- 会場にて万が一体調が悪くなった場合、我慢なさらずに速やかにお近くのスタッフにお声がけください。
- 会場には、クロークやロッカーはございません。手荷物は少なめでご来場の上、ご自身での管理をお願いいたします。
- 本イベントはDOMMUNEからの生配信を実施いたします。
DOMMUNE YouTubeチャンネル(http://www.youtube.com/user/dommune)、もしくはDOMMUNE公式ホームページ(https://www.dommune.com)からご覧いただけます。 - 生配信では、YouTubeのスーパーチャット機能による投げ銭を募っております。何卒サポートをよろしくお願いいたします。
- 会場の関係などにより、開演時間が前後する可能性があります。予めご了承ください。




